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今、「沈黙の春」に思うこと

春は当たり前のように必ずやってくるのだろうか

1962年、衝撃的な本が出版された。レイチェル・カーソン著「沈黙の春」。農薬などを始めとする化学物質が生態系に及ぼす深刻な影響について、近未来への警鐘として書かれた著書である。

農薬をはじめとする化学薬品の残留性や、生物体内への蓄積を経た生体濃縮の影響について警告した、恐らく世界で初めての一冊ではなかったろうか。現在の自然保護・化学物質による公害追求への先駆的な本と言えそうだ。

筆者がこの本に出合ったのは約10年前。倉本聰氏の書き下しで上演された『マローズ』という芝居の脚本が、この著書に依ってインスパイアされたと知ったからである。

そして奇しくも撮影ロケで自然の残されている場所に頻繁に通うようになった今、自然をコントロールしようとする人間と秩序を保とうとするかのような〝自然〟の抵抗を目の当たりにする機会に恵まれている。

春が来る。鳥たちは鳴き交わし、虫は羽音を立てて飛び回り、植物は若い緑の芽吹きの時を迎える。当たり前のように訪れる春の情景である。

「沈黙の春」から60年近くが経過し、私たちは今も春になれば、活動的な鳥の声や虫たちの活躍を見ることが出来る。しかしこれが未来永劫続くという保証は無い。人間が〝真面目に間違える〟生き物である以上、いつ、この均衡が破られるのかは誰にもわからない。

もしかしたら、春になっても鳥は鳴かず、虫も飛び回らない〝沈黙の春〟の時代が忍び寄っているのかもしれないのだ。

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異常気象が異常でなくなった〝いま〟

ここ数年言われ続けている〝異常気象〟。毎年のように言われている今ではもはや〝異常〟ではなく普通の状態となりつつあるようだ。

日本は亜熱帯になったかと思われるような気温の上昇。筆者が幼かった頃には、うっとうしい梅雨の終わりには雷が鳴って翌日はカラリと晴れた夏空が広がったものだった。「梅雨明けの雷」を聞かなくなってどれくらい経つだろうか。

数か月前に訪れた都下のある土地で見かけた〝雪の小虫〟。数十年ぶりのご対面に思わずはしゃいだ。都心では絶えて見かけることがなくなった昆虫である。「雪の小虫が飛びはじめたから、もうすぐ寒くなるよ」という母の言葉が蘇える。そこには明確に訪れる〝四季〟が確かにあった。

気温が日替わりで目まぐるしく上下する。この日はまさに春の日和。訪れた東京近郊の土地では、桜と桃と菜の花が同時に咲いていた。例年、春のお彼岸頃に咲き始める白蓮はすでに満開だ。10日も早い。

この翌日、みぞれ交じりの雨の中、東京・靖国神社の桜標本木に5輪の開花が観測されたとニュースで言っていた。やはりどこかがヘンである。

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人は真面目に間違える

「沈黙の春」でも取り上げられているが、以前DDTという殺虫剤があったことをご存知の方も多いだろう。終戦後のニュース映像で、子供も大人もGIに頭から白い粉をかけられているシーンがよく知られている。あの映像がDDTは人間には無害、との誤った理解につながったようだ。

昆虫の生命力と言うものは強靭なものだ。DDTに耐性をもつ虫が生まれるようになる。そして揺り戻しのように以前にも増して、大量の虫が発生する。半面、人間がDDTへの耐性を獲得出来るのは何代も先のことになることだろうし、その前に人類は絶滅してしまうかもしれない。

強靭な生命力を持つ生き物の中で、人間というものはとりわけ、ひ弱なのである。生まれて数十分で立ち上がり、歩き始める動物たち。その中でヒトだけが自分の足で立ち上がれるまでに数ヶ月を要する。彼ら動物に比べて言うなら、いわば〝未発達〟のまま生まれた、ということになるのかも知れない。

ヒトはその脆弱性を補うために高度な知識を発達させて、化学技術を進歩させ、その結果が化学薬品の氾濫に繋がった。まさに諸刃の剣だった訳である。

誰しも善かれと思い、人類の発展に貢献出来る、と幸せな夢を持っていた。思いも寄らなかったこの結果を誰が予測し得たろうか。
冒頭に記した〝人は真面目に間違える〟とは、この事を言うのである。人間とはなんと哀しい生き物なのか、と思う。

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「沈黙の春」にさせないために

花粉症やアトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患に悩まされている人は多い。だが、数十年前にこれだけ多数の人がアレルギー疾患に苦しんでいただろうか。

医療知識が発達したことで、これまで〝解らない〟とされていた部分が明らかにされて、アレルギーと診断される件数が増えたこともあるだろう。しかし、それにしてもアレルギー疾患を持つ人は多い。

アレルギー疾患との直接・間接の関連性は分からないが、毎日口にする食品に加工食品が圧倒的に増えたという感は否めない。また科学技術の脅威的な発展によって、自然界にあるものを人工的に合成することが出来るようになり、実用化されたものが増えたという事実は認めざるを得ない。

そしてもしこの事が、アレルギー疾患の増加に拍車をかけたとするなら、これもまた〝人は真面目に間違える〟ということになるのだろう。
私たちの身の回りは、いかに危険な物質で満たされているかということをまざまざと実感するばかりなのである。

元アメリカ合衆国・副大統領だったレスリー・ゴア氏は、早くから自然破壊とそれがもたらすであろう将来像について精力的な啓蒙活動を行い、将来への警鐘を鳴らしていた。しかし地球規模で言うならば、実行されてきた部分はまだまだ少ないと言わざるを得ないと思う。

鳥も鳴かず、虫の羽音も聞かれない沈黙の春を回避するには、人間が浅ましさと驕りの気持ちを減少させ、正しくものを見る目を備えなければならないのだろう。しかし現代の便利さに慣れた私たちは、もう過去には戻れないのである。

それならば今の環境の中で、身近で小さな事を積み重ねていくしか無い。川や海にペットボトルなどのプラスティック製品を捨てない、加工食品が食卓に上る頻度をなるべく少なくする。

糖質・脂質の多い食べ物を少なくして身体を動かし、元々備わっているはずの自然治癒力を高める。つまり、ごく普通の当たり前だったことを当たり前のようにする事が第一歩となりそうだ。

改めてつい50年・60年前に〝当たり前〟だったことを思い出して実行してみることも有効かもしれない。

一人ひとりの小さな一歩を、人類全体の大きな一歩とさせるために。
自然は、いつ反撃を開始してくるかも知れないのだ。

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                    文責・写真 : 大橋 恵伊子


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